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ボランティア募集情報
災害ボランティア活動者の感想・思い
教育学部・2年・女
教育学部・1年・男
理学部・3年・男
医学部・4年・女
農学部・2年・女
 
 
 
 私は今回5月3日から6日まで宮城県七ヶ浜町で復興支援ボランティアに参加しました。私は主に、現地のニーズ調査を行いました。ニーズ調査では、昨年行ったボランティアに対してのアフターフォローとしての訪問を行い、今後のニーズなどを調査しました。
 訪問したお宅で伺った話の中で印象に残ったことは、被災地の中でも支援に差があること、1年たった今では、物資の支給はもちろん、精神的な支援が求められていることなどでした。、あた。ニーズ調査以外にも様々なお話を伺うことができ、災害当時の様子や被災地の現状なども知ることができました。今回の活動を通して、被災地は徐々に復興してきているものの、まだまだボランティアが必要とされていることを実感しました。鹿児島は東北から遠いところではありますが、また機会があればボランティアに訪れたいと思うような4日間の活動でした。最後にわたし達ボランティアを温かく迎えてくださった七ヶ浜のみなさん、本当に有難うございました。
 
 
3月2日~3月3日活動・教育学部・1年・男
 
今回私はツアー会社の災害ボランティア企画に参加し、被災地の宮城県山元町というところに行った。まず、衝撃を受けたのは、活動場所に行くまでの道路の周辺に家が全くなかったことだ。海から400~500mのところをバスが通って行ったのだが、あるのはコンクリートの土台だけだったり、2階はキレイなのに1階が津波でえぐられてなくなってしまった家など、ありえないものばかりだった。体育館程度の大きさもあるがれきの山が、道の途中にいくつもあり、被害の大きさを感じさせた。
実際の活動としては、側溝の上の泥を取り、ふたを開け、中のヘドロをとっていくというものだった。前日に降った雨のせいもあり、泥は水を多く含んでいて、土のう袋も多く、重大な作業だった。男女合わせて50名程で行い、ノルマの距離をやり終えた時は、他では感じることができない達成感を味わった。しかし、冷静になって見てみると、たった100mほどしか進んでおらず、これで本当にこの土地の人たちのためになったんだろうか、たった1日しか活動していないのに、このまま帰ってしまっても良いのだろうか、と劣等感のようなものを感じていた。最初このボランティアに参加しようと思った時は、自分が少しでも被災者の方々の力になれたらいいという気持ちだったのだが、その自分の力があまりに小さすぎたのを実感し、とても情けなかった。そこで私はこのモヤモヤとした気持ちを帰りのバスでたまたま隣に座った40代程の男性に話してみた。その男性は、今日はボランティア7回目らしく、私の話を聞いて次のように話して下さった。“復興ボランティアというのは、リレーみたいなもので、なにも自分がゴールまで行こうとしなくても、次のボランティアの方のところまで一生懸命頑張ればいい。どれだけ長い時間取り組んだかや何日ボランティアに行ったかではなく、ボランティアに来て頑張ってくれた、という事実が被災した方々には励ましになって力になるんだよ”この言葉で私の中のモヤモヤは消え、このボランティアに参加してよかったと思った。今の自分がどれだけ恵まれているか改めて実感し、自分を見つめ直す良い機会となった。また、苦しい思いをしている人のために少しでもいいから自分に出来ることをすることで、それがいずれ必ず大きな力になるということも分かった。私が被災地のために出来たことは、わずかだったが、逆に得たものは大きく人生の財産となるものだった。この復興ボランティアで感じたこと、得たものを大切にしてこれからに活かしていきたいと強く感じた。
 
 
3月2日~9日活動・理学部・3年・男
 
 私は8日間岩手県で震災のボランティア活動を行った。大きな瓦礫は重機により片づけられていたため,何もない土地が広がっていた。だが被害が大きかったところも家の土台は残っていたので各町の住宅地が津波に襲われたことが分かり,胸が痛んだ。また,4階部分までガラスが割れている建物や津波の最高到達地点を見たが,想像できない程の規模の大きさだったことが嫌でも分かった。日本全国で復興より優先する物は無いと思う。またボランティアに行き,同じ意志を持った仲間と共に復興に貢献したいと強く思う。 
 
 
3月7日~3月11日活動・医学部・4年・女
 
 今回、災害ボランティアとして東北に行くのは初めてであった。以前より被災地域に行きたいという気持ちと、何かできることはあるのだろうかという気持ちがあり、なかなか踏み切ることはできなかった。またどのような気持ちでいけばよいのだろうか...という不安も大きくあった。東日本大震災から1周年を迎えること、時間にゆとりができたことで東北に行くことをボランティアとして参加することとした。
 3月7日から11日までの5日間、岩手県にある遠野まごころボランティアネットにお世話になった。そこには、初めての方もいれば、何回も来ている方、長期間滞在している方もおり、春休みということで学生も多くいたように感じたが、学生だけでなく年齢を問わず、さまざまな参加者がいた。
 ボランティアは内陸の遠野を中心として岩手の沿岸部に派遣されるような形であった。現在どの程度ボランティアが進んでおり、どのような活動を行っているのか、と疑問に思ってきたので与えられたボランティアをすればいいという気持ちであった。初めて沿岸部の瓦礫の清掃に入ったときは、震災から一年経過するが、瓦礫の撤去をおこない元のように戻るには、まだまだなのだなと実感することとなった。ただ、被災地は復興に向けて仮設商店街が地域にいろんな形で作らており、そこで食事をしたり買い物をしたりすることだけでも支援につながるということを感じることができた。また仮設住宅に住む方に対するものづくりなどの支援を行っており、そのような活動がなされていることも知ることとなった。
 ボランティア活動を終えて、ほんの少しの期間であり、ボランティアとしてなにができたのだろうか、という疑問が残り、ボランティアという難しさを感じた。また、この時期を選んだことで、もっと早くから来て入ればなにかしら違うものを感じたのではないかと思った。しかし、被災地域を自分の目で確かめるということができたこと、また年齢を問わず全国各地からのボランティア参加者と話をすることができたことは、私の中で実りあるものとなった。そして、この経験を決して無駄にしないよう私にできる次の支援を考えたいと感じた。
 ボランティア参加者のなかには、「明日は我が身」という気持ちを持っている方がいた。日本全国、地震はいつ起きてもおかしくない状況にあるため、ボランティア活動に参加することで、その支援の方法を学び、また備えに対する気持ちが高いように感じた。
終わりに、震災の風化を危ぶまれている中、時間にゆとりある学生のうちに、自身にできる支援について考えて欲しいと思う。
 
3月8日~11日活動・農学部・2年・女
 
 東日本大震災のボランティアに参加しようと思った大きな理由の一つが自分の目で今の実状を確かめたかったからだ。正直、今まで東日本大震災の情報はテレビや新聞でしか入ってきていなかった分、大きな災害とわかっていても自分の中で他人事として見ていた。そのため去年の夏タイへ行き学生に東日本大震災の津波の写真を見せた時、彼らがもの凄くその写真を食い入って見ていたが、東日本大震災についてきちんと説明できなかった事に物凄く反省した。だから被災地の現状を目で見て人に伝えることが今自分に出来ることだろうし、実際に行くと行かないとでは東日本大震災に対する思いも全く違ってくるだろうし、自分の中で東日本大震災が風化していくことはないだろう。このような思いからボランティアに参加した。
 釜石や大槌町へ活動に行く車中、初めて実状を目にして津波の恐ろしさを理解した。所々にある瓦礫の山。よく見たら様々な生活の品だ。これらは私たちにしてみたら瓦礫だろう。しかし地元の人にしてみたら今まで使用していた大切な物。これらを瓦礫と読むことに虚しさを感じた。一年経過した今でも震災当時の悲惨さを物語る建物があり、津波という自然の力に破壊される建物、自然の力に負けないで残っている一本松などの自然のもの。人間が作ったものは永遠でなく、自然のものには必ず負けると感じた。改めて自然を粗末にしてはならないということを学んだ。今回の活動で一番心に残り、感謝している活動がある。それは車がよく通り、仮設住宅へと続く道沿いの宅地後に花壇を作るという作業だ。耕していく際に出てきた沢山の球根。一年前の津波に流されず、ずっとそこにいた球根の強さを感じた。この通りは沢山の住民の方々が通るのでここの通り沿いを花で埋めて少しでも心が休まるような花街道になればと思う。花壇作りの昼休憩時たまたま通った家の前におばあちゃんが立っておられ話しかけられた事が一番忘れられない。おばあちゃんの庭には沢山の花の芽がでており、それらは去年津波の影響で芽が出なかったが今年は芽が出たのだという。また、庭にあった桜の木は、津波に負けず去年も花が咲いたそうだ。ここでもまた植物の強さを感じることができた。他にもあそこに何が植えてあるだとか、あの木は今年切ろうかなどと庭にある植物の話を楽しそうにしてくれた。私はおばあちゃんが初めて会う自分に楽しそうに沢山話してくれることが物凄く嬉しかった。その中でおばあちゃんが「花を触っている時は津波のことを考えず、心が休まる。」「一年たった今やっとこうやって話すことができる」とおっしゃっていたことが忘れられない。この言葉から東日本大震災の被災者の辛さが思われる分、今まで何も考えず生きてきた自分に反省しなければならない。花壇からおばあちゃんとの会話の中で津波に負けない植物の強さ、また人を癒す植物の力を知った。確かに自分も花壇作りをしている時物凄く心が癒されたし、早く満開に咲いた姿を見たいなというワクワクした思いがあった。だから満開に咲いた花を見たとき必ず誰しも心が休まるのではないかと思う。花の力を知り、花で人々を癒す。将来そのような仕事につきたいと強く思った。
 私が今できることは、みんなが東日本大震災のことを忘れないように、風化防止のために周りの人々に現地でのことを伝えることだ。鹿児島から東北は遠いけれども多くの人に東北に行って欲しい。きっと得られるものがあるだろう。
 
 
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