鹿児島大学FD報告書平成31年度
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24鹿児島大学FD報告書令和元年度 研究倫理ワークショップ1. 概要2.目的 本企画は、主に2つの目的に基づくものである。 第1に、本学に所属する大学院生に対する研究倫理教育の機会を拡充し、その研究倫理観を養うことである。学生に対する研究倫理教育の実施は大学の責務の1つである。特に大学院生については、自立した研究者の初期段階にあることからしても、適切な研究活動を行う前提となる研究倫理観をもつことには重要な意味がある。 第2に、本学における大学院生を対象とした研究倫理教育の在り方を検討するための材料を得ることである。しかし、研究倫理教育の実施にはかなりの困難が存在している。研究倫理教育の実施が大学の責務として課されている一方、これを適切に行うための環境は十分整備されているとはいえない。研究倫理について専門的に教育・研究できる教員がいない中、大学院生を指導する教員が個々の経験や認識をもとに手探りで研究倫理教育を行わざるを得ない状況にある。10研究科を有し、約1,500名の大学院生を抱える本学において、適切な方法を通じて十分な成果を挙げられる研究倫理教育の在り方とはどのようなものか、早急に明らかにする必要がある。以上の目的を踏まえて計画されたのが本企画である。3.話題提供講師:的場 千佳世氏(共通教育センター 助教) 的場氏からは、「科学と社会」との演題で話題提供を受けた。 まず、研究倫理がなぜ必要なのかについて、科学と社会との関係を考える必要があることが指摘された。研究倫理教育が大学の責務とされるに至った理由の1つとして「社会のために科学がある」との認識がある。端的にいえば、広い意味で社会に貢献すべき研究活動を支える費用が社会から与えられているものである以上、その活動は倫理に根差して行われなければならないとの考え方である。この考え方には一定の説得力がある。 しかし、果たして科学とはそもそも社会のためにあるものなのだろうか。社会のためにあるからこそ科学は社会に対して誠実かつ公正でなければならないのだろうか。 科学知は決して万能ではなく、また、科学者もあらゆる領域において専門家であるわけでもない。専門家である科学者にとっても新しいことについて評価するのは極めて困難である。科学の正しさとは蓋然的なものであり、科学知について語る資格を有するのは決して科学者だけでない。むしろ、科学のためには専門家だけでなく、専門家にはない地域知を持つ住民なども必要であると考えれば、科学のために社会が必要であるということが可能である。このような観点に立った場合、研究倫理とは、専門的な知識を専門家集団に閉じたものとせず、科学的な専門家ではない市民との対話の可能性を開くために必要であるといえる。令和2年2月18日(火)13:00~16:00郡元キャンパス 図書館ラーニングコモンズ10名日  時参加者場  所

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