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専任教員ブログ

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交通事故報道に思うこと

 

 伊藤です。

 

 今日は業務から少し離れた話題です。

 

 先日、本学の学生さんが交通事故で亡くなられました。心よりご冥福をお祈りします。叶えたい夢をもって本学に進学してくれた学生さんと送り出されたご家族のことを思うと、あまりにも痛ましく、やるせなさでいっぱいになります。

 

 そんな話題で何を思ったか。それは、報道のされ方です。2つの疑問が湧きました。

 

 この事故については、その翌日だけでなく、その後も2,3日続いて新聞に記事が出続けました。果たしてそれはどこまで必要だったのだろうかというのが第1の疑問です。事故そのものは当然のことながら既に起こってしまっており、何かが後から変わることはありません。また、今回については容疑者もすぐに逮捕されました。そのような中で、この学生さんに関するエピソードを報道することの意味はどこにあるのだろうかと考えさせられました。

 第2の疑問は、今回大学名も個人名も出たことについてです。ご家族も同意されていたのだろうとは思います。ただ、該当記事の直下に大学名も個人名も出ていない「大学生」の交通事故に関する記事が置かれていたりすると、この違いは何なのだろうと率直に不思議です。

 

 事故後、キャンパス内外を隔てる柵の1カ所で、許可のない報道や撮影を拒否する貼り紙を見つけました。おそらくこの事故後に貼られたものでしょう。ということは、事故後に無断で、亡くなられた学生さんが関わりを持っていた活動を撮影しようとした人間がいたことを意味します。

 1人の命が失われたという極めて重い事実を前に、報道機関がすべきこととは何なのか。また、今回のように、その命が自分の所属する大学の一員のものであった場合、自分にできること、すべきこととは何なのか。改めて考えてみたいと思います。どのような理由であれ、身近な人の命が失われた場合、周囲の人間は必ず影響を受けます。大きなショックを受けている学生がいるかもしれません。私が直接関わる機会はないかもしれませんが、苦しんでいたり、悩んでいたりする学生がいるかもしれないという想像力は持っていなければならないと思っています。そして、旅立たれた学生さんのことを忘れずにいたいと思います。

 

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