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専任教員ブログ

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コロナ禍と大学教育(3)

 高等教育研究開発センターの出口です。

 以前(2020年の夏と2021年の春)、「コロナ禍と大学教育」、「コロナ禍と大学(2)」というコラムをこのブログに書きました。両者とも、「新型コロナ・ウイルスの流行によって、大学教育はどのような影響を受けるか(あるいは受けたか)」をテーマとしたものでした。端的には、コロナ禍において多く活用されるようになったオンライン教育(オンライン学習)のツールや方法のこと、例えコロナ禍が収束してもその活用は続くであろうこと、そして、結局はそのようなツールや方法を前提として大学の教育や学習のあり方が変わるであろうこと、変わらなければならないであろうこと、そういった内容について書いたものでした。

 今回は、「新型コロナ・ウイルスの流行によって、大学生はどのような影響を受けたか」について、少し考えてみたいと思います。

 新型コロナ・ウイルス感染症のことを「COVID-19」と呼称することからも分かるように、このウイルスの流行は2019年から始まりました。正確には2019年の暮れに中国の武漢で発生した集団感染がその始まりであるとされています。そして、2020年の前半、日本で言えば2019年度末頃から本格的なパンデミックが起こりました。

 すなわち、2020年度に大学に入学した学生(端的には今年度の3年生)は、これまでの大学生活の全てを「ウィズ・コロナ」で過ごしてきたことになります。その期間は2年余りに亘ります。「大学生活の半分以上をコロナとともに過ごし、それがなお継続している」(4年制学部の学生の場合)ということになります。2年生も1年生も、期間が短いだけで「これまでの大学生活は全てウィズ・コロナ」という状況は同じです。

 大学に入学した時点で多くの授業がオンライン開講、その中には完全オンデマンド方式で実施されて好きな時間に映像を視聴して課題を提出するだけ、その映像には担当教員の姿は写っておらず最後まで先生の顔は分からず仕舞い、そんな授業がたくさんある大学生活。あるいは、クラブやサークル活動は制限され、学友との接点はほとんどできず、その結果友達も作れなくて、以前の大学生活ではよく見られたように時には1人暮らしの友人のワンルーム・マンションに仲間で集まって朝まで語り明かす、といった経験もなかなかできない。

 学校における授業など意図的に組み立てられた学びの体系のことを「カリキュラム」と言いますが、先生やクラスメイトとの交流や日常的な経験などから学びを得ることを教育学では「隠れたカリキュラム(Hidden Curriculum)」と呼びます。コロナ禍における大学教育(あるいは大学生活)は、カリキュラム的にも、隠れたカリキュラムという観点からも、残念ながら大きな問題がある(少なくともコロナ以前と比較して足りないものがある)と言って差しつかえないでしょう。

 そして、いまだその収束が見通せないコロナ禍において、3年生は大学生活の後半に突入しています。「コロナとともに大学生活を送り、そうではない大学生活を一切知らないまま卒業していく」という事態が発生し得るということです。実際、短期大学の学生の場合はそのような事態が起きているわけです。また、4年生はコロナ以前の大学生活は1年生の時に経験しただけで、2年生進級時からはずっとコロナ禍であり、大学生活のほとんどをウィズ・コロナで過ごし、そのまま就職活動、そしてもうすぐ卒業していく...という状況です。

 そのことが学生(卒業生)本人にどのような影響を与えるか、そのような卒業生が一斉に社会に出る時にどのようなことが起こるか、かなり重大な問題だと思いますが、私の知る限り充分な検証は行われていないようです。「大学での学び」と「その学びと社会との接続」について、従来はどうであったか、コロナ禍においてはそれがどう変化しているのか、その「変化」が「劣化」であるならば大学と社会はどのようにそれをフォローしていくのか、改めて検討する必要があると考えています。

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