鹿児島大学 鹿児島大学高等教育研究開発センター

専任教員ブログ

専任教員ブログ

ChatGPTとどう付き合うか

 伊藤です。

 新年度が始まり、今週から授業も始まりました。大学生活のかなりの部分がコロナ禍以前に戻り、部活・サークルのタテカンの前で新歓に精を出す学生たちの姿、テントを立ててベンチもどこからか持ってきて空き時間にだべっている学生の姿も久しぶりです。春だなあと感じています。
 
 そのような中、ニュースでも毎日のように目にするChatGPTとどう付き合えばいいのかについて考え続ける日々を送っています。立場上、大学としてどうするのだということを考えてしまうし、考えないわけにはいかないのですが、明快な答えはまだ出せませんし、そもそも出せるものでもないのでしょう。

 自分自身としては、今のところは使い方の問題だと思っているので、対話の相手として使うというくらいのスタンスです。問いかけに対してとりあえず何かしらの返答は返ってくるので、おかしなことが返ってくれば突っ込む、的確なアイディアが出てきたら「ありがとう!」といったところでしょうか。どのような指示出しであればほしい回答が返ってくるか、吐き出された回答の問題点はどこなのか、といったことを考えるのも、自分が授業をしたりモノを書いたりする上での勉強にもなると思っています。

 私個人としてはそれで良いのですが、大学としてはそんな単純な話では済みません。既に使っている学生もいるでしょう。これから使い始める学生ももちろんいるでしょう。もし学生がレポート作成に使ってきた場合、これは不正行為だといえるのでしょうか。アイディア出しの頭の体操として使った場合、示された回答を活用してレポートを作成した場合、示された回答をコピペしてレポートとした場合。いろいろな状況が想定されます。しかし、示された回答をコピペしたかどうかについて、他者が検証することはできるのでしょうか。同じ人間による全く同じ文言での問いかけであっても回答が変わることがあるわけですから、問いかける人が違えば回答も変わることは容易に想像できます。「ここの、この文章をコピペしましたね!」と突きつけるのが、一般的なweb記事と比べて非常に難しいものだと思うのです。これを既存の規則で対処できるのかというと、限界があるように感じています。

 ChatGPTはある意味たまたま先行しただけで、生成系AIは今後雨後のタケノコのようにどんどん出てくるでしょうし、そのクオリティも確実に高くなっていきます。どう考えても大学の対応がその発展のスピードに追い付ける気がしません。

 それでも、何もしないで良いというものではないでしょう。少なくとも教員としては、自分の授業の仕方や課題の作り方を見直す必要が出てきます。学生がこうしたツールを使うことを前提として、それが当然行われるものだと自覚したうえで、それによってさらに学びが深まるような授業の仕方に変えていく必要がありますし、課題の作り方も根本的に見直す必要があります。学生の学びになるような授業運営も課題作成も、ChatGPTがあろうとなかろうと取り組むべきものです。その部分の支援や情報提供をどう行っていくかが喫緊の課題、私にとっての業務上のミッションだろうと考えています。

DSC_0800.JPG

つぶやき一覧へ