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専任教員ブログ

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3年ぶりの出張

 伊藤です。

 あまりにも久しぶり過ぎて手続きも忘れていましたが、無事に出張から戻ってきました。その日はともかく、翌日になってクタクタになっていたのは、しばらくぶりだったからだと信じたいところです。

 今回久しぶりに外の世界に出てみて感じたのは、時々外に出ることは必要だということと、雑談を含めた四方山話をすることも大切だということです。コロナ禍で出産に至ったということもあり、今回の出張は3年ぶりでした。この3年間、他大学に行くことは一度もなく、県外に出たのは夫婦それぞれの実家への帰省のみ数回でした。学外の方に対面でお会いする機会は片手で数えられるほどで、しかも四方山話ができるような間柄の人ではなく。世界がとんでもなく狭く、硬くなっていたと感じました。

 今回は、日本人学生の日本語ライティング教育に関する話をさせていただきました。様々な実践研究が行われていますし、学術研究に取り組まれている方ももちろんいらっしゃいます。私自身は博士後期課程から一貫して関心を持ち続けて現在に至りますが、今のような立場で仕事をするようになったこととも関わって、「これは果たして学生の問題として捉えて良いのか?」という疑問を持つようになりました。学生が、大学で求められる形で書けないのは、教えられてもいないのだからある程度当たり前ともいえます。だからこそ、教育・学習の機会が必要だといえます。

 ですが、学生がライティングについて考える機会、実際にライティングに取り組む機会は、ライティング力育成を目的とした授業の場だけではありません。むしろそうした授業は卒業要件124単位のうちのせいぜい2単位でしかないでしょう。それ以外授業で山ほどレポート課題に取り組み、授業の振り返りのためのミニッツ・ペーパーを書き、奨学金の申請書を書き、エントリーシートを書いています。そうした場を放ったらかしにしておいて、果たして学生のライティング力が伸びるのかというと、甚だ疑問です。

 特にレポート課題についていえば、「学生が書けるような課題を教員は提示しているのか」という疑問があります。何を書けば良いのかわからないような課題提示をしてはいないか、学生の実態に見合わないほどハードルの高い課題になってはいないかなど、教員の方にむしろ問題があるのではないかという問いも必要だと思うのです。

 学生の問題なのか教員の問題なのかという問いにはあまり意味はないでしょう。二者択一ではないだろうと思うからです。どちらにもそれぞれそれなりの問題が含まれるという認識に立って、これまで学生の問題としてのみ語られがちだったライティング教育について、もう少し掘り下げて考えていければと思っているところです。

 自分の思考を整理する機会としても貴重な場を与えていただいたことに感謝します。また、講演の内容とは全く別の話の方が多かったですが、たくさんの四方山話ができたことが何よりありがたかったです。家庭の事情でなかなか外に出ていくのが難しい状況が数年は続くと覚悟していますが、できることをコツコツと、少しずつでもできることを増やして、改めて世界を広げて行ければと思います。

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