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専任教員ブログ

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全国大学教育研究センター等協議会に参加しました

 伊藤です。間が空いてしまいました。

 何と約3年半ぶりに宿泊を伴う出張に行ってきました。コロナ禍に出産が重なったため相当な引きこもりが続いていたので、今回参加の主な目的は「リハビリ」でした。出張が日常の中に組み込まれなくなっていたので、常にここにいるのが当たり前になっていたので、その辺りを必要に応じて軌道修正していきたいです。まだ希望。

 さて、これは私だけなのか誰でもそうなのかわかりませんが、私は聴く話の内容にかかわらず、話を聴いているとそこから勝手に頭が活性化してアイデアが浮かんだり、懸案事項が整理できたりします。学会や研究会など限定で、会議ではそうならないので、学内引きこもりだとそうなりません。また、講演会であってもwebだとこれも発動しません。今のところ対面の学会・研究会限定です。今回久しぶりの対面研究会ということで、いろいろ考えを整理することができました。SA制度等、提案し直さないといけないことも出てきていたので、ちょうど良かったです。

 話の内容とも関わるものとしては、2日目に生成AIに関する意見交換に参加したのですが、「結局はプロンプト(問いかけ)次第」という話と、教員のレポート課題の出し方とに共通点があるなと感じました。
 ChatGPTで質の高いレスポンスを出させようとすると、それなりのプロンプトが必要になります。プロンプトが曖昧だったり、やたらと文章が長くてわかりにくかったりすると、出てくる文章の質はそれなりのものにしかなりません。これは、教員の出題文が曖昧だったりわかりにくかったりする場合のレポート課題と同じではないかと思うのです。「その指示では、学生は的を射たもの書けないでしょう...」ということですね。何についてどう書けばいいか、何が求められているのかがわからないわけですから。

 どの大学もこれからあるいは既にガイドライン策定に取り組むようですが、それはそれとして取り組むにしても、レポート課題の作り方についてもう少し考えてもらわないといけない気がしています。ChatGPTに課題文をそのまま放り込んだらもっともらしいレポートができてしまうような出題では話にならないと思うのです。

 学生にChatGPTを使うなというのは、インターネットを使うなというくらい意味のないことです。使える便利なツールがあるのに使わない理由はないでしょう。効果的な使い方をさせようとするのであれば、教員も行動を変える必要がありますよね。学生の行動をどう仕向けていくかはもちろん重要ですが、そうなるような教員の変化をどう促すかも重要ですし、おそらくそちらの方が難しいだろうと思っています。

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