専任教員ブログ
先々が心配になること
伊藤です。
試験期間が終わり、学生は夏季休暇、教員は採点期間です。
この時期になると、必ず何人かの学生から連絡が届きます。「ネットがうまくつながらず、期限を過ぎてしまったのですが、今からでも提出させていただけないでしょうか?」というのはかなり出来が良いほうです。それが、例えば提出期限が17時だったとして、17:02に届いていればなおさら。しかし、「遅れたので送ります」と問答無用で送り付けてこられることもあります。送りつけてよいと思っているのか、それが図々しいとは思わないのか、送り付けることはできても受け取ってもらえるとは限らないし評価の対象になるとも限らないとは考えないのか、数え切れない???が頭に浮かびます。そんな連絡にため息が出ます。
コロナ禍は特殊な状況であり、私の場合は産休・育休期間もあったので、なおさらその前後に違いを感じるのかもしれませんが、昨年ごろから???と感じる場面が増え、目の前の学生の将来にうっすらとした不安を覚えることが多くなりました。
私が担当している全学必修科目「初年次セミナーⅠ」はグループでのプレゼンテーションを課しており、そこに向けてグループで取り組んでいく必要があります。必修科目なので学生のモチベーションにはかなりの差があり、まじめに取り組む学生もいれば、フリーライダーもいます。人間関係がきしむグループも出てきます。
そうした問題が起きたときに、「ただ黙ってその状況を受け入れる」学生が増えた気がします。フリーライダーに対してはっきりと怒るというのは難しいでしょう。それでも、何も言わなければフリーライダーはフリーライダーのままです。それで受け入れられているのですから。そして、そうした状況がしんどくても助けを求めるわけでもありません。「自分で解決できなければ相談しなさい」と伝えていても、大抵の場合はそのままです。
学生にこれから身につけたい能力を尋ねると、半数以上が「コミュニケーション能力」を挙げます。しかし、「誰と、どんな状況で、どんなコミュニケーションができる能力?」と突っ込むと、固まられることが多いです。今隣で話を聞いている同級生と世間話ができる能力だとは、さすがに思っていないでしょう。それでも、「怒ってクレームをつけてきた顧客の怒りを鎮めてこちらの言い分に耳を傾けてもらい、穏やかに帰ってもらえるだけのコミュニケーション能力」と「協力して作業をしなければならない状況にもかかわらず、まったく仕事をしてくれない同僚に対して、決定的に関係性を壊すことなく仕事をしっかりしてもらえるだけのコミュニケーション能力」とでは全く違うと思います。
具体的に身につけるべきコミュニケーション能力の中身を考えると、その目標を達成するためにしなければならないことも明確になり、大切にすべき経験もわかってくるのではないでしょうか。大学は、社会に出るまでの予行演習的に様々な経験を重ね、能力を培う期間です。物事の捉え方が自分とは異なる他者との相違をそういうものとして受け止め、状況の解決方法を見出していく経験はとても重要ですが、同時にとてもしんどいものでもあります。しかし、しんどいからといって避けていては能力が高まることはありません。学生たちを見ていると、意識的に避けているのではなく、避けるのが当たり前になっているのではないかと感じます。そうした学生たちを見ていると、このまま社会に出ていって大丈夫なのだろうかと感じずにはいられません。
最近、個々の学生ではなく、学生集団全体に対してそんなうっすらとした不安を感じることが多くなりました。我が国の大学ではほぼすべての学生が20歳前後である一方、こちらは年齢を重ねていくため、毎年年齢差が開いていきます。このようなうっすらとした不安が、ジェネレーションギャップでしかなければ良いのだが、老婆心の拡大でしかなければ良いのだがと願ってもいます。
とりあえず、レポートは期限までに、様式やファイル名に関する指示を守って提出してもらいたいものです。