専任教員ブログ
ダイバーシティトップセミナーに参加しました
伊藤です。
昨日開催された標記企画に参加してきました。JSTの山村康子先生による講演「ダイバーシティ推進の動向と鹿児島大学への期待」でした。
大学に限らず、我が国の女性の労働状況に関するデータや女性研究者を取り巻く状況のデータなどを多数お示しいただきましたが、中でもアンコンシャス・バイアスに力点が置かれていたと感じました。アンコンシャス・バイアスは誰にでもあるものであり、それ自体に良し悪しはないものの、情報処理や意思決定、行動選択に当たって弊害を生む場合があるということですね。講演内でも紹介されていましたが、米国のオーケストラ演奏者選定のためのオーディションの事例がよく知られています。
弊害を生まないようにするには、まずとにかく気付くこと、自分の考えやしようとしていることはアンコンシャス・バイアスに基づくものではないかという自問自答を怠らないことなのでしょうね。これでも管理職の端くれなので、改めて考えさせられました。「女性だから」「母親だから」ではなく、「この人の今の状況がこうだから」という点から考えられるように、日ごろからコミュニケーションをとって的確な判断ができるようにしておきたいと思います。
一方で、このセミナーもそうでしたが、いつのころからか会議などで対面の場に赴くと「この場に女性は何人いるかな?」と数える癖がついてしまいました。「20人近くいても女性は自分1人」といった場も少なくないからでしょうか。そのことで嫌な思いをしたとか苦しんだとかいうことは幸いありません。それは相当恵まれているのだと思います。それでも、「この場に女性1人というのはどうなのかな」「ここにいる女性の大半は運営スタッフであって参加者ではないよな」とか思うことも多く、なんとなくもやもやした感情を持ち続けています。
女性管理職増、女性上位職者増が強く求められており、それは確かに組織として必要かつ重要だと思います。その一方、望まない女性にそれを迫るような事態については、別に考える必要もあります。望まないような思考様式に育てられてしまっているのだとする指摘もあるかもしれませんが、「その人が望んでいないのだ」という事実は無視すべきものではないと思います。
ただ、今のご時世では、性を問わず「偉くなりたくない」「管理職にはなりたくない」という人が増えている気もします。企業でもそんな話はありますが、大学の場合は企業とは少し異なる文脈がある気がします。
学部長など、管理職になったからといってこれまでになってきた業務が何か減らされるわけではありません。授業や学生指導もそのまま、研究活動ももちろんそのままで、管理運営業務が爆発的に増えるのです。仕事が変わるというより増えると表現したほうがしっくりくるのではないでしょうか。
学部長や学部長経験者の方を何人も存じ上げていますが、「どうやって時間をやりくりされているのだろう?」というくらい超人的に仕事をこなされている方もいらっしゃいます。体が3つくらいあるのでは?と思い、尊敬しかありません。
しかし、大学教員はもともと研究がしたくてこの道に入る人間が多い世界です。組織経営に関する業務に初めから関心を持っている人はほとんどいないでしょう。そういう超人的教員を見ていて自分もそうなりたいと思えるかというと、「自分は自分のしたいこと(≒研究と教育)だけしていたい」と若手が思っても不思議はない気がします。超人的管理職に対して敬意は持てても、自分が目指すべきモデルとは思いにくいでしょう。
このような状況にある大学で、ただでさえ少ない女性を管理職に就けていくというのは容易ではありません。大学という組織をより良くしていくためには必要だとしても、現実は難しいと思わずにはいられません。