専任教員ブログ
東京大学の授業料値上げに思うこと
伊藤です。
標記の件について、報道されていますね。何カ月か前にこの件について総長対話が行われたという報道もありましたので、決定事項なのだろうと理解しており、驚きはありません。法科大学院と大学院博士課程は対象外なのか、というくらいです。
大学を運営するにはお金がかかりますが、大学は営利目的の組織ではないので基本的に設けることができません。ですが、現在でいえばウクライナ紛争の影響などで光熱費が激増しており、大学の財政状況を圧迫しています。そもそも、国立大学でいえば運営費交付金がひたすら減少し続けているため、人が辞めても後任を雇えない、施設設備が壊れても買い換えられないといった事例がざらにあります。
大学にとって授業料値上げは、「決してやりたくはないものの背に腹は代えられないこと」というのが私の理解です。そこで収入を増やす以外に手の付けようがないだろうと思うからです。
コロナ禍の最中に、大学の施設設備が使えないのだから、その分授業料を減額してほしいという声が上がりました。気持ちはわからなくはないけれど、大学にその力は、余裕はないと思ったのを覚えています。使われないからといって図書館の空調をすべて止めてよいかというと、そうはいきません。それで蔵書が使い物にならなくなったら取り返しがつきません。また、図書館で勤務している職員はすべて出勤しなくてよくなったかというと、そんなわけでもありません。つまり、施設設備は学生が来なくても動き続けている、あるいは動かし続けなくてはならないので、その分コストはかかります。にもかかわらず、授業料を減額したら、減る分の予算を一体どこで補填したらよいのでしょうか。
少なくとも大学を取り巻く予算については八方塞がりな状況だと思います。もっと前向きな話がしたいです。
話変わって東大について。
息子が生まれて以降、新しく思うようになったのが「東大にはあまり行かせたくないな」です。今3歳の子ですから何を気の早い、というのは当然なのですが、自分の価値観を確認しているような感じだと思ってください。なお、東大の教育とは全く無関係な話です。教育については、むしろ面白いことをたくさんされていると思うので、息子自身が行きたいと思えばそれはそれだと思っています。
にもかかわらず行かせたくないと思うに至った理由の1つは、女子学生比率の圧倒的な低さです。矢口祐人『なぜ東大は男だらけなのか』や江森百花『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』など、最近相次いでこの話題に東大内部の方々が言及していますが、東大は圧倒的に男性の世界です。日本国内ではあまり疑問を持たれてきませんでしたが、国際的にみるとかなり稀有な状況です。そこで4年ないしは6年過ごすことが望ましいのかという問いに対し、私はあまり「はい」と思えないなというのが、あまり東大には行かせたくないと感じた理由の1つです。
そしてもう1つ、上記ともいくらか重なりますが、学生の同質性の高さです。都市部の中高一貫男子校からの進学者比率の高さも上記書籍などで触れられています。経済的に恵まれた環境で生まれ育ち、男性コミュニティを経て入学というルートが東大内で多数派を占めるのだとしたら、その環境にはあまり加わってほしくないなと思うのです。これで授業料値上げとなると、一層経済力のある親の子の比率が高まりかもしれません。そこから得られるものはもちろんあるのでしょうが、恵まれた状況の人ばかりの空間で生きることが望ましいのかという疑問は、結局先ほどの女性比率の低さと同じです。
なお、息子の場合、生まれた地が地方・鹿児島なので、そもそも都市部というのには当てはまりませんが、鹿児島には名の知れた中高一貫男子校・ラ・サールがあります。現在、鹿児島県知事も鹿児島市長もラ・サール→東大ですし、そういったルートはさして珍しくもないことを考えると、全く無関係ともいえないのではないでしょうか。
数年前、東大卒業式での上野千鶴子さんの式辞が話題になりました。自分が偶然与えられた環境が幸運のもとにあるという自覚を持てるかというのは、その人の人格形成にとって重要だと思います。私自身、その辺りを十分理解できていないまま成長したと、今となっては反省しきりです。
息子がこれから育つ環境がどこまで「恵まれたもの」になるかはわかりませんが、一部の恵まれた人たちばかりの世界を当たり前だと思ってほしくない、本人の努力や能力とは無関係に頑張ることのできない状況に置かれる人もいるということを認識できる人間になってほしいと思います。東大授業料値上げのニュースと、目の前にいる息子の存在から考えさせられること、振り返らされる自分の価値観に改めて向き合った気がします。