専任教員ブログ
卒業・修了、おめでとうございます
伊藤です。
昨日、卒業・修了式が行われました。卒業・修了された皆さん、おめでとうございます。あいさつに来てくれたFさん、通りがかりに見つけた私に挨拶してくれたEさん、おめでとう。そして、ありがとう。
学部や研究科が主担当ではないと、卒業・修了式といっても「今日はキャンパスが華やかだな」というくらいで、いつもとほとんど変わりはありません。キャンパスに学生がいるという風景そのものはいつも通りですから。
ただ、自分が親になってみると、卒業・修了式に合わせてキャンパスにお越しになっている親御さんを見る目は変わりました。20余年、お疲れさまでしたと言いたくなります。自分が大学を卒業するときに、親にそんなことをいったかというと、おそらく言っていないと反省するばかりです。ごめんなさい。自分がこちら側に立ってみてわかることがあるのだと実感しています。
卒業についてのエピソードは特に何も思いつかないのですが、何かを終える、区切りをつけるということで。
仕事をしている中で、「もう役割を終えたのでは?」と思われるものの、ずるずると続いているプロジェクトに遭遇することが、たまにあります。役割を終えたと思うかどうかの判断基準は人によって異なるのでしょうが、そのプロジェクトを始めた人はもうおらず、プロジェクト終了という判断を下せる人(決定権がある人ということではなく、「止めよう」と言い出す人)は誰なのかも曖昧になっていて、そこにコストだけはしっかりかかっている状態、といったところでしょうか。始めた人は思い入れがあり、予算もついたかもしれませんが、その状態がずっと継続できるわけではないですよね。誰も思い入れはないのに誰も止めるとも言わない状態というのは、ちょっとゾンビのように思えてしまいます。これは困る。その一方、思い入れのある人が残っている状態も、それはそれで厄介です。
スクラップ&ビルドが重要だと言われることは多々ありますが、ビルドよりスクラップのほうが大変だと思っています。楽しいことはあまりありませんし、何かが生み出されるわけでもありません。むしろ、その仕事に思い入れがある人が残っていると、その人との間に軋轢が生まれます。ゾンビ状態の仕事であれば、片付けたら喜ばれるのかもしれませんが。難しいですね。
ただ、私の場合、性分が片付け魔なので、仕事についてもできれば片付けたくなります。新しいプロジェクトをただ立ち上げるより、片付けて整理整頓し直したい。それも、できるだけお金を使わず何とかしたい。自分のそんなところが仕事に直結するとは意外でした。予想もしていなかったところがつながるのだなと実感しています。