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専任教員ブログ

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学生は変わっているのか

 伊藤です。

 IRセンターの浅野先生とお話させていただいた際に、最近の学生の変化について問われました。その質問に対し、少なくとも、学生調査の結果からは特段大きな変化は見られないとお答えしました。コロナ禍では学生生活への満足度が低下したものの、それも回復しています。内容よりもむしろ気がかりなのは回答率の方で、学生が答えてくれなくなっているのか、周知して回答を促してくれる組織や教員が減っているのかどちらなのだろう、という感じです。

 さて、では学生は変わっていないのか、変化していないのかというと、そんなこともない気がしています。データとして出せるほどの話ではなく、体感として「?」と感じる場面が増えたように思います。ただしその原因については、学生が変化したからなのか、私が年齢を重ねて学生を見る目が厳しくなったからなのかは不明です。
 変化したように感じる場面としては、例えば、授業中にトイレに行く学生の振る舞いがあります。とても堂々と出ていきます。私だったりゲストだったりしますが、教壇で講師が話をしている真っ最中に突然席を立ち、前方に座っている学生の目の前を堂々と横切って出ていくというのは、昔からあったのでしょうか。そして、大学以前の段階で「できるだけ授業前に済ませておこう」とかいった習慣は身に付けないものなのでしょうか。
 健康上の理由があり得るので、トイレに行くことそのものを妨げるつもりはありません。トイレが理由かどうかもわかりませんが、それを問おうとも思いません。
 問題は、他者が話をしている最中、話を聴いている目の前を堂々と横切る振る舞いに違和感を覚えてなさそうなところです。他者が話すこと、聴くことを妨げる権利をその学生はもっていません。退室が避けられないのであれば、せめて身をかがめるとか教室の端の方を歩くとかいった配慮は思いつかないのだろうかというのが、ただただ不思議でなりません。

 親になってつくづく思うことがあります。幼児が公の場で騒ぐとき、もちろんそのこと自体に避難の目が向けられることも少なくはありません。しかし、その際の親の振る舞いが、子に対する見方にも影響を及ぼしているのではないでしょうか。子が騒いでいても何もしようとしない親と、丁寧に、あるいは必死に子を静かにさせようとしている親とでは、印象は全く違うでしょう。
 これと同じにしてはいけないのかもしれませんが、学生の振る舞いにしても、他者に配慮していると感じられるかどうかで違って見えると思います。「トイレに行く」ならその目的そのものは変えないとしても、ほんの少し身をかがめる、教室の端の方から移動するといった配慮をするだけで、結果としてその人への見方をよくすることができるのではないでしょうか。

 と思いはするものの、これは授業で説明するようなこととも思えず、大学で指導すべきことなのかというと、それも疑問です。家庭なのか、もっと下位段階の学校なのか。こうした立ち居振る舞い方というのは誰がどこで伝えるべきものなのか、以前は伝えられていたのだとすればそれはどこで行われていたのか。広田照幸先生の『日本人のしつけは衰退したか』ではありませんが、実はそうした「しつけ」は衰退などしていないのかもしれませんし、考えてみたら案外深い問題なのかもしれませんね。

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