鹿児島大学 鹿児島大学高等教育研究開発センター

専任教員ブログ

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加治木高校でお話させていただきました

 伊藤です。

 昨日、教員研修会のために加治木高校にお邪魔させていただきました。お招きいただいた校長の新留先生、お声がけくださった宮脇先生をはじめ、皆さまありがとうございました。

 探究学習についてお話させていただく機会が一昨年度からポツポツと続き、業務としても本学における探究学習への協力・支援に関する仕組みの整備に取り組んでいます。いつの間にか私の通常業務の中に探究学習関係のことがどっかりと位置づくようになりました。そうだっけ?と思わなくもないですが、勉強になっているので、その点ではありがたく思っています。

 今回お話させていただいて改めて感じたことが2つあります。

 1つは地域格差です。加治木高校には今回JR日豊線を使っていきました。鹿児島中央駅から加治木駅まで30分強ですので、ものすごく遠いというほどではありませんでした。それでも、本学から徒歩5分で行ける甲南高校と比べればもちろん遠いです。また、先日伺った加世田高校のように、公共交通機関なら2時間、車なら1時間という距離のところもありますし、大隅半島の高校となるとそれ以上かかります。さらにいえば、県内には離島も多くあるので、飛行機に乗らなければいけない高校も少なくありません。

 この距離は、大学への支援要請にも影響を及ぼします。研修会の場でご質問もいただきましたが、生徒が考え出した内容についてより専門的な指導を受けさせたいと思っても早々簡単にお願いできないと考える理由のひとつが地理的距離であるとした場合、これは生徒自身の努力でどうにかできない部分がどうしても出てきます。もちろん、webで代替できるところもありますが、実験などできないこともどうしても出てきます。こうした地理的状況によって探究学習の到達点に差が生じるとすれば、その地域格差は見過ごしてはならないのではないでしょうか。

 もう1つは、教員の役割の変化です。探究学習の場合、教員の役割はコンテンツの教授ではなく、生徒が考えたことに対して疑問を投げかけたりツッコミを入れたりすることだと考えています。「それはどういうこと?」「その問いはスケールが大きすぎない?」「その資料は信頼がおけるの?」などですね。教科・科目について教えることが職業的アイデンティティの根幹にあるであろう高校の先生方にとっては、かなり質の異なることを求められているといえるかもしれません。

 このことは、大学教員にも共通するのではないかと思います。自身の専門性がアイデンティティの核となることの多い大学教員の場合、授業といえば自身の持つ専門的知識を教授する場だと認識しがちです。それが全面的に誤りだとは思いません。

 しかし、専門的知識の教授だけなら教科書を学生に読ませればよい、動画を視聴させればよいという話になります。授業のために決まった時間に教室に来させる必然性が説明できません。コロナ禍を経て授業の教材としての動画作成やそれを視聴させることは大学教育の方法のひとつとしてそれなりに定着しました。だからこそ、大学における授業の意味やあり方が問われているのではないでしょうか。

 探究学習の指導は、これと同じく教員の役割や「授業」の概念を変えるものだと思います。教員といえば何かを教える人と認識されてきましたし、本人もそういう自己意識を持ち、実際にそのように活動してきました。ですが、今後の社会における教員は、学習者の自己学習の深化を支援する人、学びを深めたり学び方を修得したりするのをサポートする人へと変わっていくかもしれません。大学では徐々にそのような移行が生じつつありますが、もしかしたら高校にも、探究学習を通じて同様の流れが部分的に生じているのかもしれません。

 大学での日常とは異なる場に身を置かせていただくことで、いろいろ考えることができました。貴重な機会をいただけたことに感謝します。ありがとうございました。

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