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ありがとう!教育学部体育科実験研究棟

[記事掲載日:20.07.10]

 昭和45年に、本学の教育学部敷地内に建設された鉄筋コンクリート造、2階建、 延べ床面積920平方メートルの歴史ある教育学部体育科実験研究棟が、老朽化、耐震性能及び構造性能上の問題のため、令和2年7月23日から取り壊されることになりました。
 
 この度の取壊しにあたり、教育学部保健体育科教員として、長年にわたり教育・研究等に加え学生の運動部指導にも、尽力されてきた武隈 晃 理事(教育担当)に、この研究棟の歴史や取壊しについてお話を伺ってみました。
 
 
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間もなく取り壊しとなる体育科実験研究棟
 
 
Q.武隈理事、本研究棟の歴史について教えてください。
 
 「終戦後、高校教員養成のための高等教育をいかに充実させるかが焦点となっていた日本は、課程認定を受けた専門学部(体育学部)で対応していたが、昭和20年代後半以降、小学校・中学校教員養成を使命とする教育学部を設置する地方国立大学に高校教員養成のための「特別教科教員養成課程」を置くという画期的な制度を作った。本制度により、本学教育学部には、「保健体育」の「特別教科教員養成課程」が設置された。
 設置以降は、保健体育の高校教員養成に力を注ぎ、これまで多くの保健体育科教員を輩出し、鹿児島県における高校及び中学校保健体育の、最大時半数を越える教員を鹿児島大学教育学部出身者が占めた。地方国立大学による占有率51%以上は全国唯一であった。
 また保健体育の教員数は、旧教養部に12名の保健体育教員を擁したこともあり、大学全体で24名となり、東京教育大学(現在の筑波大学)、広島大学に次ぐ規模を誇った。
 このような実績もあり、昭和45年、全国でも珍しい体育で独立した研究棟が建設された。
 これは本学が、戦後日本の教員養成システムの「南の拠点」であり、そしてそれを象徴するこの体育科実験研究棟であったことを意味している。」
 
 
Q.武隈理事、取壊しにあたってのお気持ちをお聞かせください。
 
 「この研究棟は、教育・研究に励み、共に部活を行った学生諸君、スポーツに没頭した仲間の居場所でもあったことが、一番の思い出。研究棟が取り壊されても、その時代を担った教員、学生らがちょうど50年間その役割を担ったという自負、建物はなくなってしまっても、切磋琢磨しながら大事な時間を過ごしたその記憶を持った人がいる限りは、この研究棟は心の中にずっと残っていくことでしょう。」
 
 本学でも、研究棟の歴史を知る人はわずか。この歴史の中で、最前線でご活躍された武隈理事の研究棟への思いと寂しさが伝わる取材となりました。
 
 本研究棟に配置されていた保健体育科の教員研究室・実験室等は、令和2年6月17日に竣工した教育学部管理棟・理系研究棟へ移転しています。
 移転先では、スペースの共用化・集約化により、機能別ゾーニングへの転換による学際的教育研究活動の推進、実験、実習室等の共有化による分野横断型研究の活性化と効率的な機器・スペースの利用促進、交流スペースの創出による学生・教員間の交流活性等、多くの期待が寄せられています。
 
 
 
 
 
 
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体育科実験研究棟の入り口に掲げられている「体育科」の表札
 
 
 
 
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 思い出の研究室