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日本野球誕生125周年中馬庚先生記念試合基金

※令和2年3月31日をもちまして、本基金の受付を終了させていただきました。ご協力いただきました皆様に心より御礼申し上げます。
 
↓本記念試合の様子はこちら(2020.3.19本学HP掲載)

 1895(明治28)年にベースボールを「野球」と翻訳し、1897(明治30)年に日本初の野球指導書「野球」を著すなど、日本野球の黎明を拓いた中馬庚先生(鹿児島市西千石町生まれ)は東京帝国大学卒業後、鹿児島の旧制中学などで野球の普及と野球チームの指導・育成に多大の貢献を遺されました。
 1899(明治32)年1月には鹿児島第一尋常中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)、同年4月より尋常中学造士館(同校は明治34年の第七高等学校造士館、昭和21年の第七高等学校を経て鹿児島大学の起源)教諭、1906(明治39)年には鹿児島第二中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)の教頭を務められました。
 アメリカ人英語教師ホーレス・ウィルソンにより東京開成学校予科(後の第一高等学校、東京帝国大学)においてベースボールが初めて行われたのが1871(明治7)年、東京大学には1919(大正8)年に野球部が創設され今年100周年を迎えられました。中馬庚先生が「野球」という日本語を創り125年目の今年、鹿児島大学は創立70周年を迎えます。
 これを期して、日本における国民的スポーツとしての「野球」の発展に対する中馬庚先生のご功績を称え、中馬庚先生の胸像が建立する鹿児島市鴨池市民球場において、中馬庚先生ゆかりの東京大学と鹿児島大学が硬式野球部の大学間交流試合を「日本野球誕生125周年中馬庚先生記念試合」として実施するために基金を創設いたしました。関係者の皆さまに基金の趣旨を御理解頂き広くご寄附をお願い申し上げる次第です。
 
対象事業

  1. 日本野球誕生125周年中馬庚先生記念試合(東京大学-鹿児島大学硬式野球部・大学間交流試合)及び関連する諸事業
  2. その他この基金の目的達成に必要な事業
 
※上記のほか、鹿大「進取の精神」支援基金の管理運営を円滑に行うことを目的として、本基金に対する寄附金の一部を鹿大基金の全学共通経費として使用させていただきます。
 
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