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平成22年度入学式告辞(平成22年4月7日)

  

  新入生諸君、入学おめでとう。

 

 楠の若葉は鮮やかに輝き、まさに、春爛漫にして清明の今日、雄大な桜島を背景に、平成22年度の入学式を挙行し、若き熱情と希望に満ち溢れる皆さんを鹿児島大学にお迎えできますことは本学にとりまして大きな喜びであります。

 

 今年は、法文学部、教育学部、理学部、医学部、歯学部、工学部、農学部、水産学部の8学部に、2024名の学部生、人文社会科学研究科、教育学研究科、保健学研究科、理工学研究科、農学研究科、水産学研究科、医歯学総合研究科、司法政策研究科、臨床心理学研究科の9研究科に601名、計2625名および連合農学研究科の34名の大学院生を加え、63名の外国人留学生を含め、総勢2659名の新入生を迎えました。

 

 ここに、教職員約2400名と在学生約9000名とともに、皆さんの一人ひとりを心から歓迎いたします。また、見事入学を果たされた皆さんの研鑽と努力に敬意を表し、その志を支えられたご家族の皆さまに心よりお慶び申し上げます。

 

 皆さんが学生生活をおくる鹿児島は、北辰斜めにさす、日本列島の南に位置し、活火山の桜島や霧島、世界自然遺産の屋久島及び生物多様性に富む奄美群島など、後世に遺すべきすばらしい自然環境にめぐまれております。また、古今、アジアと世界の諸地域に開かれた南の門戸として、海外との交流を通じ異文化の導入を率先して行い、豊饒の文化を育んだ地でもあります。このような風土の中、鹿児島は、鹿児島中央駅前広場に建立されている「若き薩摩の群像」の若者のように、幾多の困難に果敢に挑戦し、わが国の変革と近代化を推進した数多くの英才を輩出してきました。 

 

 鹿児島大学の起源は1773年(安永2年)に創立され、「進取の気性」に富む若者を育てる上で、中心的役割をになった藩学造士館であります。鹿児島には、明治以降も、藩学造士館の名跡を受け継いだ第七高等学校造士館、ウイリアム ウイリスを校長とする西洋医学校、鹿児島師範学校、鹿児島高等農林学校、鹿児島県立商船学校、鹿児島県立工業専門学校などが創立されました。これらの高等教育機関はそれぞれ長い歴史を刻んだ後、1949年(昭和24年)に統合し、新制鹿児島大学としてスタートいたしました。その後、1977年(昭和52年)に歯学部が新たに設置され、現在、8学部と10大学院からなる、約11000名の学部生と大学院生が在籍する質量とも西日本有数の総合大学へと発展いたしております。

 

 この間、前身から数えると237年の永きにわたり、本学は「知の拠点」として人類社会の発展の基礎となる「知の創生とその継承・発展」に邁進して参りました。 皆さんが入学する平成22年度は、国立大学法人第二期6年間がスタートする節目の年であります。鹿児島大学は、第二期を迎えるに先立ち、これからの社会から要請を踏まえ、本学の使命と存在意義を再確認し、本学の目指すべき基本目標を明確にするために、平成19年11月の第59回開学記念日に「鹿児島大学憲章」を、制定しました。鹿児島大学は「自主自律と進取の精神を尊重し、地域とともに社会の発展に貢献する総合大学を目指す」ことを基本理念とし、鹿児島の教育的伝統を引き継ぎ、「真理を愛し、高い倫理性と社会性を備え、向上心を持って自ら困難に立ち向かい、国際社会と地域社会で活躍しうる人材を育成する」ことが本学の教育理念であります。第二期は、大学憲章の具現化として、独創的・先端的な研究を積極的に推進するとともに、総合大学の特徴を活かし、島嶼、環境、食と健康などの全人類的課題に果敢に挑戦するとともに、「進取の精神」を有する人材を育成するため、学士課程の基盤となる共通教育の改善を図るとともに、専門教育の質を保証するシステムを確立することを最重要課題として、教職員が一体となり、懸命に取り組みます。

 

 このように、本学が、identityを再認識し、全ての教職員と学生が一体となり、決意も新たに、自らが立てた目標達成に果敢に挑戦する時期を同じくし、皆さんは本学に在学し、自己実現のために様々な挑戦を行うことになります。

 

 真理を探求する場である大学に入学した新入生の皆さん、今、直ちに取り組むべきことは、自己の探求です。自己を真剣に見つめ、何のために大学に入学したのか、何のために生きるのか、どのような人間になりたいのか、を自らに問い、自己実現のための第一歩を踏み出すことです。そして、真、善、美の高いレベルで調和した理想の自己を形成すること、すなわち、人格を「陶冶」すること、「人間力を涵養する」ことが、今後、生涯にわたっての諸君の追求すべき目標となります。そして、人格形成、人間力の涵養においては、皆さんが自主自律的に取り組まない限り、教育は有効な支援となりえません。このことを肝に銘じておくことが肝要です。

 

 鹿児島大学の起源である藩学造士館などで学んだ若者は、自我を確立し、自己実現に努め、国内外でどん欲に学芸を習得し、わが国の近代化の推進者へと成長しました。その象徴として、「若き薩摩の群像」があります。鎖国中であった1865年、薩摩藩は19名の若者をイギリスへ派遣します。留学生には、19歳で選ばれ、後に日本教育界の父と呼ばれる藩学造士館出身森有礼(ありのり)と13歳で選ばれ、のちにカルフォルニアのぶどう王となる長沢かなえがいます。1867年には、森や長沢ら5名はアメリカに渡り留学を続けます。翌年、明治維新となり、森有礼(ありのり)は帰国後、類まれなる語学力と卓越した国際感覚の外交官として大活躍をすると共に、日本近代化の基礎作りとして、近代的学校体系の骨組みを築くことに献身します。明治18年には39歳の若さで、初代の文部大臣となり、生涯をかけて、日本の外交と教育の分野の近代化に取り組み、天才的偉業を残したのであります。一方、長沢かなえはアメリカに一人で残り、明治8年に東部より、カルフォルニア、サンフランシスコの北にあるサンタローザに移住し、ぶどう園の開墾に挑戦をいたします。長年にわたる様々な挑戦を繰り返した結果、広大なぶどう園を開墾し、ぶどう酒の醸造にも成功します。この地方の商工会議所の会頭に選ばれるなど、地域社会の中においても、尊敬を集めますが、生涯独身のまま、82歳で生涯を閉じます。その後、長沢の広大なぶどう園はサンタローザ市へ寄贈されます。また、昭和58年にはレーガン米国大統領が日本の国会における演説で日米を結ぶ歴史的な繋がりの一例として長沢かなえにふれ、カリフォルニアのぶどう産業へ貢献度は計り知れないと、その業績を称えました。

 

 この13歳と19歳の若者は、高い志をもって、鎖国の中での英国留学に果敢に挑戦し、未知の出来事や人物に出会い、感激し、また発憤し、自己の理想に向かって向上心を益々燃やしたことでしょう。そして、与えられた場で一貫持続して、全力を尽くしたに違いないと思います。このような、自己研鑽の中で、様々な知識、技能、教養、コミュニケーション能力、実行力、徳性など、人間としての総合的な力、すなわち人間力を極めて高いレベルまで涵養した結果、近代社会形成への主体的な参画者となり、社会の発展のリーダーとなりえたのではないでしょうか。

 

 鹿児島大学に入学された皆さん、無限の可能性を秘めた若くて能力のある皆さんが、職業人としての基本的専門知識・技能と態度を十分に習得し、また修士課程および博士課程において、真理すなわち物事の本質を貫いている法則を探究するための創造的思考法の基本を習得するとともに、このような先人の進取の精神を引き継ぎ、自己を見つめ、高い志をかかげ、自ら困難なことに果敢に挑戦をしてもらいたい。そして、経済不況、少子高齢化や地球環境問題などが深刻化する中で、自己の理想に向かって向上心を燃やすし、豊かに人間力を涵養することによって、一人ひとりが持続発展可能な『希望ある成熟社会』の力強い担い手に成長されることを心より祈念して告辞といたします。

 

    平成22年4月7日

 

鹿児島大学長   

 吉 田 浩 己