トップページ大学紹介平成24年度卒業式・修了式告辞(平成25年3月25日)

平成24年度卒業式・修了式告辞(平成25年3月25日)

130325kokuji.jpg 構内の北辰通りや植物園の木々が、力強く、芽吹き、春爛漫にして清明の今日、ここに、平成24年度の卒業式・修了式を挙行できますことは、本学にとりまして大きな喜びであります。学部を卒業される1896名の皆さん、大学院を修了される557名の皆さん、おめでとう。ここにご臨席を賜っております、ご来賓、名誉教授、ご列席の理事、部局長、教職員の皆さんとともに、心からお祝い申し上げます。
 ご家族の皆様には、心からお祝いを申し上げますとともに、ここまで様々な面で長年にわたる励ましと支えいただいたことに対し敬意を表します。

 学生諸君、皆さんは、入学後、様々な困難に直面されたことと思います。その克服に果敢に立ち向かうとともに、学友と切磋琢磨し、学業に精励するとともに、ボランティアやサークル活動などにも真摯に取り組み、人格の陶冶に努められました。このように、学生の本分を全うされ本日を迎えた皆さんは、入学時に自らに課した目標を達成できた喜びを噛み締められておられるのではと推察します。皆さんの努力と研鑽に心より敬意を表します。特に、留学生の皆さんには、生活習慣の違う日本での学業はさぞかし大変であったであろうと察します。母国の期待を担い、留学を立派に全うされた皆さんにとって、今、まさに感慨無量でしょう。今後、鹿児島大学および鹿児島の人々と絆を保ち、鹿児島と母国との架け橋として、おおいに活躍されますことを心より祈念いたします。
 
 本学は、皆さんが鹿児島大学で過ごした時期に、新たな教育学習理念を定めるという歴史的な決断をし、その新理念に基づく総合大学の実現への果敢な挑戦を開始しました。
本学が存在する鹿児島は、活火山の桜島や霧島、世界自然遺産の屋久島および生物多様生に富む奄美群島など、後世に遺すべき素晴らしい自然環境に恵まれ、また、古今、アジアと世界の諸地域に開かれた南の門戸として、海外との交流を通じ、異文化の導入を率先して行い、豊饒の文化を育んだ地であります。このような風土の中、鹿児島大学の起源となる藩学造士館が島津重豪(しまづ しげひで)により1773年に創設されました。鹿児島中央駅前広場に建立されている「若き薩摩の群像」の若者の一人で、鎖国の中、英国へ留学し、後に、初代文部大臣となる森有礼(もり ありのり)は藩学造士館出身であります。困難に自ら果敢に挑戦する気概、すなわち、進取の精神をもって、わが国の変革と近代化を推進した、多くの若者を育てる上で、中心的な役割を担ったのは、藩学造士館でありました。藩学造士館は明治34年(1901年)に第七高等学校造士館へと引き継がれ、第七高等学校は昭和24年(1949年)には、鹿児島高等農林学校、鹿児島師範学校、鹿児島県立商船学校などとともに新制鹿児島大学へと統合されます。このような、本学の歴史を踏まえて、本学は、藩学造士館の教育伝統を引き継ぎ、本学が堅持すべき基本理念を自主自律と進取の精神の涵養であることを明確にするとともに、進取の気風を鹿児島大学のアイデンティティとする決断をし、平成19年11月15日の第59回の開学記念日に大学憲章を制定しました。「進取の精神」、Enterprising Spirit(エンタープライジング スピリット)の涵養を本学の教育学習目標とし、進取の精神の涵養を、鹿児島大学の学生としてのアイデンティティとし、さらに学生、教職員などの大学の全て構成員が進取の精神をもって、卓越した学習・教育研究・社会貢献を展開する進取の気風にあふれる鹿児島大学を実現しようとするものであります。
 そうした中、学生諸君は、平成22年の第61回の開学記念日に、本学の学生としての学習行動の指針として、学生憲章を制定しました。学生が主体となって学生憲章を策定した国立大学は、本学が唯一です。本学の教育理念をしっかりと受け止め、学生憲章の前文には、本学の学生であることを誇りとし、学ぶことに感謝し、桜島のように気高く、時には、激しさをもち、自らを磨き(みがき)、未来を拓いていきますと謳い、勉学に真摯に取り組むとともに、ボランティア活動やサークル活動などを通して、人間力と鹿児島大学の学生としてのアイデンティティである進取の精神をしっかりと涵養し、高い志をもって自己実現をめざすことを高らかに宣言しています。国民の期待に応えうる素晴らしい内容であり、今後、永く本学の学生により継承されるべきものであります。 皆さんが制定した学生憲章は、将来、本学を振り返った時、教育学習の進化の要となった歴史的な成果として高く評価されると確信しています。本年は、藩学造士館創立240年目であります。この節目の年に卒業される諸君は自ら策定した学生憲章の理念、すなわち、藩学造士館より継承した進取の精神を改めて深く心に刻み、社会へと飛び立っていただきたい。そして、大学憲章を制定した諸君には、進取の精神が鹿児島大学の学生、卒業生のアイデンティティ(identity)を確立する上で特別な責務があることを自覚し、この進取の精神を忘れることなく、社会の発展のために、様々な分野で果敢に挑戦していただきたい。そのことによって、進取の精神が本学の学生、卒業生のアイデンティティ(identity)として確立されていくものと信じます。
 21世紀となり、グローバル化が進む中で、民族紛争、テロ事件の頻発、経済格差の拡大、地球温暖化など、安全や豊かさへの脅威が増大する一方、環境、食糧、エネルギー、文化、医療などの多くの領域で、国際的視野と協調のもとに持続可能な人類社会を形成していこうとする動きが急速に強まっています。社会の安定的な発展と成熟をいかに実現していくかということが、21世紀の課題であります。この課題を現実の喫緊(きっきん)の問題として、突きつけられたのが、平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震であります。激烈な地震と巨大な津波、その後の原発事故は未曾有の災害を引き起こし、社会生活の最も基本である「生命の安全と生活の安定」を瞬く間に打ち砕きました。
戦後最大の試練の時期に在学し、卒業していく皆さんには、これらの出来事を生涯にわたり忘れることなく、本学の学生・卒業生としてのアイデンティティ(identity)である進取の精神を発揮して、国民が同じ苦しみや悲しみを二度と味わなくて済む社会の形成への責任ある参画が、強く求められています。
 日本の復興と再生にあたり、我々が理想とする持続可能な生態系をすでに作り上げている自然との共生を基本におき、人間の幸せを、物財の豊かさのみに求めず、より深い精神性を大切にし、心豊かに安心して生活できる「希望ある成熟した社会」を形成する担い手としての若き獅子、それがまさに諸君であることを自覚していただきたい。

 本日の卒業式において、皆さんの社会への勇躍を祈念して、在学生とOBによる力強い第七高等学校第14回記念祭歌「北辰斜めに」の歌声で社会へ送り出します。「北辰斜めに」は1915年(大正4年)に学生であった簗田勝三郎(やなだ かつさぶろう)が作詞したものであります。「北辰斜めにさすところ」とは、我が学舎は、北極星が北の夜空に低く斜めに見える鹿児島にあることを表現しているものであります。1番と2番で鹿児島の風土、静の薩摩潟と動の桜島を称え、3番と4番では自己研鑽と理想への勇躍を歌い上げています。作詞したときは既に病を患っていた簗田勝三郎(やなだ かつさぶろう)は、病が重くなったため、翌年退学しますが、24歳の若さで亡くなります。その後、99年間、この「北辰斜めに」は七高生と鹿大生に受け継がれてまいりました。鹿大生の魂のふるさととも言うべき不朽の名歌「北辰斜めに」を切磋琢磨した仲間と斉唱し、本学の卒業生として、今後も進取の精神を堅持し、地域社会と国際社会の豊かな発展のために生涯にわたり挑戦する決意を新たにしていただきたいとおもいます。

 皆さんの健闘を称え、さらなる発展を祈念して、告辞と致します。

 

 

平成25年3月25日   

   鹿児島大学長 吉田浩己