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令和2年度卒業式・修了式告辞(令和3年3月25日)

 現在、全国的に新型コロナウイルスの感染拡大が深刻な状況となっており、例年ならば鹿児島県総合体育センター体育館で一堂に会しての式典を、このように学内で規模を縮小して挙行いたします。卒業生・修了生の皆様にとって人生の節目としてかけがえのない式典であり、またご家族の皆様もその晴れの日を楽しみにしておられたことと存じます。皆様方のお気持ちを思いますと、非常に残念ですが、皆様の健康と安全を保ち、新年度からの新たな進路で無事ご活躍いただくことを第一に判断いたしましたので、ご理解いただけると幸いです。
 
 さて、本日は、学部を卒業される1,931名の皆さん、大学院を修了される538名の皆さん、誠におめでとうございます。鹿児島大学教職員を代表して、心からお祝い申し上げます。また、皆さんをこれまで励まし支えてくださったご家族の方々にも、お祝いと感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
 
 鹿児島大学は、昭和24年(1949年)5月に創設され、現在では、9つの学部と9つの大学院研究科を有し、一万人を越す学生がキャンパスで学んでいます。創立以来、七十有余年の間に巣立った卒業生・修了生は、十一万名を超し、卒業生・修了生は国内外の様々な分野で活躍をし続けています。鹿児島大学第七代学長を務められた井形昭弘先生の作られた、グローバルとローカルを組み合わせた「グローカル」という言葉があります。多くの先輩方のように、本日卒業・修了する諸君にも真のグローカル人材として羽ばたいて欲しいと願っています。また、卒業生・修了生の中には、多くの外国人留学生の皆さんも含まれています。学士課程16名、大学院修士課程25名、大学院博士課程13名、合わせて54名に学位記を授与することができました。言葉や習慣の違いを克服して、学びの目的を達成された皆さんの努力に心から敬意を表します。今後も、鹿児島大学および鹿児島の人々との絆を保ち、鹿児島と母国との架け橋として、大いに活躍されますことを祈念いたします。
 
 冒頭にも述べましたが、皆さんの在学中の最後の一年はコロナ禍に見舞われた辛い一年であったと思います。本来、ヒトとは社会的動物であり、他の人との相互の関わり合いを持って生存する種です。コロナ禍においては、人の相互の関わり合いを減らす方向での生活を強いる側面が大きく、現在、世界中の人間社会に大いなる軋みを出現させています。卒業生・修了生の皆さんも、若人としてのみなぎるエネルギーを大いに発散させる場を失い、不完全燃焼となって悩んだ人も多かったのではないかと思います。また、アルバイトが減り、家族の経済状況の悪化から、生活にも困窮する経済状態に見舞われた学生も少なからずいたのではないかと推察します。国からの授業料免除等の経済的支援のほか、本学独自の学生支援策として、新型コロナウイルス感染拡大の影響により大幅にアルバイト収入が減少した学生、又は家計が急変した世帯の学生など生活要支援の状態にある学生に対し、緊急支援措置として返済を要しない学生緊急支援金を二度に渡り総額八千七百万円にのぼる給付を行い、給付を受けた多くの学生から感謝の意を表してもらいました。このように本学独自の学生支援策を実施することができましたのも、同窓会 OB・OGの方々、保護者、地域住民、地元企業及び教職員など数多くの皆様からの温かいご支援のおかげでした。ご寄附を賜りました皆様には感謝の念に堪えません。また、初回の給付の原資としましたのは、本学卒業生の稲盛和夫氏(京セラ名誉会長)のご寄附により設置しました「鹿児島大学稲盛和夫基金」でした。
 
ここで、稲盛和夫・京セラ株式会社名誉会長・本学名誉博士のことに触れたいと思います。稲盛氏は、鹿児島市に生まれ育ち、鹿児島大学工学部をご卒業ののち、1959年に京セラ株式会社を創業され、1948年には第二電電のちのKDDIを設立され、さらには日本政府からの要請を受け、2010年に一度は破綻したJAL(日本航空)の再建を約3年の短期間で見事に成し遂げられた、本学が誇りとする卒業生です。本学キャンパス内に建立された稲盛氏の立像の銘板に刻まれている稲盛和夫氏から鹿児島大学の学生諸君へ送られた言葉をここに紹介させてもらいます。ここに刻まれた言葉は、コロナ禍という苦難を在学中に経験した諸君には、とても意義深いものだと思います。折に触れて、思い出してください。
 
どんな境遇に遭遇しようとも
どれほど厳しい環境に置かれようとも
挫けることなく
常に明るい希望を持ち
地道な努力を一歩一歩たゆまず続けていくならば
自分が思い描いた夢は
必ず実現する。
 
No matter how difficult the adversity,
No matter how severe the environment,
If you never give up,
Always remain hopeful and positive, and
Continuously accumulate steady efforts every day,
Your dreams will surely come true.
 
 
 さて、現在、パンデミックをもたらしている新型コロナウィルス感染症は、私たち人類にとって大きな試練となっています。昨今のグローバル化の進展により、小さな地域での感染症の発生が、すぐにも地球規模の問題となって拡散する事態を招いています。全世界で多数の死者が発生し、防疫のために各国は国境封鎖を行い、東京オリンピックは一年延期となり、この先も通常開催は危ぶまれる状態となっています。また、経済活動への大きな打撃からの世界的な経済不安など、混迷は深まるばかりです。事態は、人類の存在自身を脅かしかねないレベルにまで陥っており、人類が営々と創り上げてきた社会・経済の仕組みそのものをも脅かすものとなりつつあります。しかし、このような時こそ、人類が蓄えてきた「知の力」を充分に活かすべきであると考えられます。「知の力」というものを考えると、大学とはその中心的な「知の拠点」であります。「知の力」の「知」とは、知識の「知」のみならず、知恵の「知」であり、熟慮をしてこその「知」であります。本学の大学憲章では、「自主自律と進取の精神を培い、自ら困難に立ち向かい、地域社会や国際社会で活躍しうる人材を育成する」と謳っています。皆さんには、このような精神を持ちつつ、決して精神力のみということではなく真の「知の力」で地球レベルの困難に立ち向かっていってほしいと願います。
 
 皆さんは、鹿児島中央駅前には昨年秋に二人の像を加えられた幕末の薩摩藩英国使節団のモニュメント「若き薩摩の群像」があることを知っていることと思います。鹿児島大学名誉教授で文化勲章受賞者の中村晋也先生の作であります。この群像は、1865(慶応元)年、国禁を犯して渡英した薩摩藩英国使節団をあらわし、帰国後に日本の近代化に貢献した面々が名を連ねます。初代文部大臣の森有礼、のちに外務卿となった寺島宗則、「サッポロビール」生みの親の村橋久成、初代大阪商工会議所会頭の五代友厚、米国に渡ってワイン生産事業を起こした「カリフォルニアの葡萄王」こと長澤鼎らがおり、いずれも薩摩で育ち、学び、そして世界に翔び立って、グローカルに人生を生き抜いた人たちです。この度の卒業生・修了生の諸君も、彼らに負けず、鹿児島の地でそして鹿大で学んだ自信と誇りを持って、未来に向けて羽ばたいてほしいと願っています。そしてまた、時に疲れた際には、翼を休めに本学を訪問してください。恩師や仲間たちが優しく包んでくれると思います。
 
 今後とも、心身の健康に気をつけて、ますます活躍し飛躍されることを祈って、卒業生・修了生の皆さんへの私からのお祝いの言葉といたします。
 
 ご卒業、誠におめでとうございます。
 
令和3年3月25日    
鹿児島大学長 佐野 輝