なぜ「不本意入学」と感じる人と感じない人に分かれるのでしょうか?
「みなさんは自分の希望を叶えられなかった時、どんな気持ちになりますか?」こう聞かれれば、多くの人は最初に「残念です」というように否定的に答えるでしょう。例えば、私の研究領域である高大接続の中の大学入試の場合で考えてみますと、第一志望の大学に合格できず第二志望以下の大学に入学することになった場合、残念だと感じる人が多いことが想像できます。一方で、第二志望以下でも受験した大学に合格できたのだから入学する大学で頑張ろうと思う人もこれまでの調査から一定数の割合でいることがわかっています。では、自分の希望する大学に入学できなかったという事実は同じなのに、なんでこの大学に入学することになってしまったのだろうという不本意な気持ちを抱えたままの人たちと、希望していなかった大学だけど不本意感を持たず前向きに頑張ろうと考える人たちに分かれるのでしょうか?この点が私の研究の出発点です。
なぜ「不本意入学」と感じる人と感じない人に分かれるのか、また、「不本意入学」となってしまった場合、不本意感を緩和・解消するためにはどうすればよいのかについて、大学・社会を取り巻く環境や学校教育の仕組みにアプローチする方法で研究を行っています。
みなさんは社会性と主体性のどちらが高いですか?
みなさんはエリクソンという人をご存知ですか?そうです、高校の教科書にも登場する発達心理学者ですね。彼は、自我同一性という概念を提唱しています。自我同一性とは「自分としての連続性や自分が自分であることに確信が持てること」(自我の確立)と、「社会における自分の位置づけが決められること」(社会性の確立)を統合した概念で青年期の発達課題とされています。私の研究では、青年期の発達課題である自我の確立度と社会性の確立度に注目し、質問紙調査から大学不本意入学との関連を調べているのですが、これまでに科学的にわかったこととしては、少なくとも社会性の確立度のスコアが高い人は不本意入学者が少ないということです。なんとなくイメージできるような気がしますよね。このように教育学の領域から大学不本意入学についてアプローチすることで、不本意入学をできるだけ防ぐために、大学入学前の中等教育段階でどのような教育実践が考えられるかなどを教育機関に提案することが可能となります。