トップページ大学紹介令和6年度入学式 告辞 (令和6年4月5日)

令和6年度入学式 告辞 (令和6年4月5日)

 本日ここに、御来賓各位の御臨席を賜り、理事、副学長、部局長、教職員と共に一同に集い、鹿児島大学入学式を執り行うことができますことを、大変喜ばしく思います。学部学生1,918名、大学院学生590名、総勢2,508名の若き希望に満ちた皆様の一人一人を心から歓迎いたします。この中には19カ国に及ぶ海外の国々からの留学生76名が含まれています。ようこそ鹿児島大学へ(Welcome to Kagoshima University)。入学を果たされた皆様のこれまでの日頃の研鑽と努力に敬意を表します。また、その志を支えてくださった、ご家族の皆様、友人、指導いただいた先生方など、数多くの方々がおられると思います。ここに、支援いただいた方々に深く感謝しつつ、支援者の皆様にも心よりお慶び申し上げます。重ねて、新入生の皆様、入学おめでとうございます。

 本年1月1日の能登半島を襲った地震で被災された方々に対して心からのお見舞いを申し上げるとともに、残念ながら犠牲になられた方に対し、衷心より哀悼の意を表します。すでに、鹿児島大学からはDPAT(災害派遣精神医療チーム)、DICT(災害派遣感染制御支援チーム)、DMAT(災害派遣医療チーム)、JMAT(日本医師会災害医療チーム)、さらにはJRAT(日本災害リハビリテーション支援協会)など多くの医療関係者の派遣による直接的な支援活動のほか、学内からの多大な義援金などを通じて支援を行っていますが、今後も鹿児島大学におきましては、被災地の方々への協力を惜しまないつもりでいます。

 さて、本学の源は、島津家25代薩摩藩第8代藩主の島津重豪が250年前に創始した「藩学造士館」にさかのぼりますが、その流れを汲んだ第七高等学校造士館のほか高等農林学校、師範学校や水産専門学校などを統合し、新制の国立鹿児島大学として開設されたのが昭和24年のことでした。昭和30年には医学部と工学部を有した県立鹿児島大学が国立移管の上統合され、現在では、法文学、教育学、理学、医学、歯学、工学、農学、共同獣医学、水産学の合わせて9つの学部と人文社会科学、教育学、保健学、理工学、農林水産学、医歯学、臨床心理学、共同獣医学、連合農学の9つの大学院研究科、その他に附属病院、附属図書館、附属学校・園、総合研究博物館、ヒトレトロウイルス学共同研究センターや種々の研究センターなどの施設を持ち、約1万数百人の学生・生徒と約4千人の教職員を擁する我が国を代表する総合大学であり、今日までに京セラ創始者の故稲盛和夫氏のような大先輩を含めて12万人を超える有為の人財を社会に送り出してまいりました。このように、歴史と伝統のある鹿児島大学に皆さんをお迎えできますことは慶びに堪えません。

 現在の鹿児島大学につきましてもホームページを見ていただきますとわかりますように、日経新聞による「大学のイメージ調査2023」では、全国約800校の大学の中で、「採用を増やしたい大学」は全国2位、「大学の取り組み」は全国1位に輝き、同じく日経新聞による「大学の地域貢献度調査2023」では、総合で全国5位とこれまた高い評価を受けている状況です。私たち教職員も、これらの評価に裏付けられた教育力を持って皆さんのこれからの学生生活を充実したものにできるよう、力を合わせて助力していきたいと決意を新たにしていますので、大いに期待してください。そして、鹿児島大学には「鹿児島ならでは」のプログラムや事業がたくさん用意されています。例えば、「かごしまキャリア教育プログラム」では、所定の単位を取得し修了した学生を採用選考の過程で優遇する制度を鹿児島商工会議所会員企業(地元企業 22社)において開始しています。また、JAL、JACと提携して実施する「地域密着型パイロット人財創出プログラム」では、鹿児島大学の卒業生・修了生にだけパイロットになる機会が与えられます。そのほか、地域獣医師確保のために共同獣医学部生に優先枠を設けた奨学金制度や地域医療・離島医療人材育成のための医学部医学科の奨学金制度などなど、入学後も種々の制度を用意していますので、是非活用していただければと思います。

 さて、皆さんは丹下梅子さんの名を聞いたことがあるでしょうか。本邦初の博士号を取得した女性研究者であり、リケジョのパイオニアである彼女の銅像が鹿児島の老舗百貨店山形屋の玄関横に設置されています。丹下梅子さんは、明治6年(1873年)に鹿児島は金生町の地で生まれ育ちましたが、3歳の時に転んで手に持っていた箸で右目を傷つけ右眼の失明に至りました。その障害にも負けず、一念発起し17歳で現在の鹿児島大学教育学部の前身にあたる鹿児島県立女子師範学校を抜群の成績で卒業し、名山小学校や技芸学校で10年教鞭を執りました。しかし、さらなる勉学への思いは断ち切れず、明治34年(1901年)に28歳で本邦初の女子高等教育機関として開学した日本女子大学校一期生として入学しました。卒後も助手として精進を続け、文部省の化学中等教員検定試験に女性で初めて合格する快挙を果たしました。さらに、大正2年(1913年)、東北帝国大学が女性に門戸を開くと、40歳で本邦初の女性帝大生として入学を果たしました。肺結核のため卒業は1年遅れたものの首席で卒業。卒後は大学院に進学し、修了後は助手として研究を続けました。48歳で留学の機会を得て渡米し、8年間に渡って4つの大学に在学・在職し、ジョンズ・ホプキンス大学大学院での研究から博士号の学位を与えられました。57歳の時に帰国し、日本女子大学校の教授として迎えられるも研究意欲は衰えず、授業を終えた後は毎日理化学研究所に通い、ビタミンB1の発見者である鈴木梅太郎博士に師事して研究を続けました。67歳で、「ビタミンB2複合体の研究」で東京大学から博士の学位を授与され、博士号取得後も 76 歳まで理化学研究所に通って研究を続け、78歳で大学を退職し、昭和30年(1955年)に81年の生涯を閉じられました。明治維新後とはいえ、男尊女卑の気風が特に強かった鹿児島の地で育ち、幾多の困難を乗り越え日本初の女性帝大生となり、米国と日本の両国で博士号を取得するなど女性研究者としての道を切り拓きました。このように不屈の闘志を持って生き抜いた偉大な丹下梅子さんという女性研究者のロールモデルを持つこの鹿児島の地で学業を始められる皆さん、特に入学生のほぼ半分を占める女子学生には、是非記憶に残してほしい鹿児島の大先輩です。男性も含めた全ての若い皆さんの将来には無限の可能性があります。丹下梅子さんのように高い志をもって何事にも挑戦し、日々の積み重ねを怠らず励み続ければ、よい結果が後からついてくると信じてください。新入生の皆さんには、鹿児島大学の学生として「誇り」をもって、また、今日の希望に満ちた高い志をいつまでも持ち続け、個性豊かな学生生活を送ることを期待します。また、市民の皆様からは「鹿大生」として、畏敬の念をもって迎えられ、「憧れの存在」であるように心がけていただきたいと思います。留学生の皆様には、学ぼうとされるそれぞれの分野の学術を極めていただくとともに、日本語や鹿児島そして日本の文化などを学んでいただき、「素晴らしい鹿児島・日本」を母国に紹介していただき、母国と日本の架け橋になっていただくよう願います。

 本学は、在学生、卒業生、教職員、そして関係の皆様すべてが「誇れる」大学であり、さらに、社会の「憧れの」大学として、また、「地域に根ざしてグローバルに展開する」世界の鹿児島大学としての存在感を確立するために、皆さんと一緒に、更なる磨きをかけていきたいと思います。皆さん一人一人が、卒業時に心の底から鹿児島大学に来て良かったと思えるように、そしてみなさんの心の中に「鹿児島大学の誇り」がしっかりと形づくられていることを期待しています。

 
 最後に、教職員一同、新入生の皆様の輝かしい未来を共に創っていくことを重ねてお約束して、新入学の皆様及び支援者の皆様へのお祝いの式辞といたします。

令和6年4月5日
鹿児島大学長 佐野 輝