カントリー・ミュージックは「白人音楽」か
アメリカにおける大衆音楽(popular music)は、人種によるジャンル分けをその大きな特徴としてきましたが、カントリー・ミュージックも白人音楽として認識されてきました。
こうした認識は1960年代から始まったカントリー・ミュージック研究の分野においても長らく主流で、同ジャンルの歴史を語る際、白人のみがその中心に据えられてきました。
しかし、近年、白人のみを同ジャンルの歴史の中心に据えた語りから脱却しようとする動きが生まれています。その一つの流れとして、同ジャンルを、社会的に「白人音楽」として仕立てあげられた音楽ジャンルとして解釈する動きがあります。
そこにおいては、同ジャンルの起源とされてきた南部の民衆音楽を「白人音楽」と断定するのではなく、むしろ白人だけでなく黒人にも共有された点に注目します。
そして、こうした豊かな文化交流の中に存在していた南部の民衆音楽が、いかに音楽関連産業等によって「白人音楽」として人種化されていったかを明らかにしてきました。
中西部カントリー
私の研究も、こうした新しい研究潮流に沿ったものです。一方で、私の研究の特色としては、先行研究が南部のカントリー・ミュージックに注目してきた中、中西部のカントリー・ミュージックに着目している点です。中でも、1924年にシカゴのラジオ局WLSで始まり、主に中西部に住む白人の農民をターゲット層にしながら、後にカントリー・ミュージックと呼ばれる音楽を放送していた『ナショナル・バーン・ダンス』(National Barn Dance)というラジオ番組に注目しました。その重要性にもかかわらず、南部という地域性にカントリー・ミュージックの文化的真正さを求める研究傾向から、中西部のラジオ番組である『ナショナル・バーン・ダンス』はカントリー・ミュージック研究の分野において見落とされてきました。
私の研究は、『ナショナル・バーン・ダンス』がいかに「白人音楽」の形成に関わったかを検討することによって、「白人音楽」カントリー・ミュージックとしての源流に新たな視角を加えようとしています。さらに、カントリー・ミュージック研究の分野のみならず、アメリカ大衆音楽におけるカラーラインという、より大きなテーマにも新しい視角を与えることができればと考えています。