刑事責任と人格の同一性
「犯罪を犯したら処罰される」当たり前のことじゃないか、と思うかもしれません。しかし、例えで考えてみて下さい。夢遊病という病気があります。睡眠中に起き上がっていろいろな行動をしてしまう病気です。ある夢遊病患者が睡眠中に犯罪を犯してしまったとします。睡眠中のことなので、その人は自分が何をしたかを当然覚えていません。この人は処罰されるのでしょうか。
私が研究テーマにしている『解離性同一性障害患者たる被告人の刑事責任能力(*1)』も、同じような問題を孕んでいます。過去に行った犯罪行為に関して、裁判にかけられている被告人は覚えていません。ただ忘れているだけなのではありません。病気のせいで、思い出すことができないのです。これを考える上でキーワードとなるのは『人格の同一性』という言葉です。
過去のある時点におけるAさんと今のAさんが同一人物であること、これを『人格の同一性』と言います。解離性同一性障害患者が犯罪行為を行った場合、他の人から見れば、犯罪行為の時点の行為者Aさんと今裁判にかけられている被告人Aさんは同一人物です。しかし、Aさん自身はこれを覚えていない。つまり。Aさんから見れば、犯罪行為時点の行為者と現在裁判を受けている自分の間に人格の同一性は無いのです。この場合、Aさんに刑事責任を問うことはできるでしょうか。
研究と現実の裁判との接点
解離性同一性障害と聞いて、思い出されるのは、有名な小説『ジキル博士とハイド氏』かもしれません。映画などの中でも、解離性同一性障害患者(以前は多重人格障害と呼ばれました)が描かれていることがあります。「でも、それってフィクションンの中だけの話じゃないの?」と思うかもし患者れません。しかし近年、わが国においても、解離性同一性障害を患う被告人の刑事責任を問題とする裁判例が複数出てきました。しかも、その結論は様々に異なっており、未だ裁判所全体として統一した判断基準が確立されていない、というのが現状です。
また、あるべき判断の指針を示す刑法学の世界においても、いまだ議論が始まったばかり、というのが現状です。私は大学院の修士課程からこれまで20年近く、この問題について研究してきましたが、昨年、日本刑法学会第99回大会ではじめて、この問題について報告を行うことができました。刑法学会としても、この問題について気づき始めた、というのが現在の状況です。そしてこの問題については、法律家だけで議論するのではなく、精神医学・心理学等、他分野と連携して研究していくことが必要になってきます。
用語解説
(*1)【解離性同一性障害】「解離性同一症」とも呼ばれる精神の障害の1つ。以前は多重人格障害と呼ばれた。複数のパーソナリティ状態を有し、これらのパーソナリティ状態は各々が個別の記憶等に代表される同一性感覚を有する。そして、これらのパーソナリティ状態間における記憶等の不連続によって特徴づけられることが多い。