ディベートとは何か?
「ディベート」と聞いてどんなイメージが思い浮かびますか?難しい、言い合い、論破、…どちらかというとネガティブな印象を持っている人が多いのではないでしょうか?
私はそのディベートを研究対象としており、コミュニケーション学の観点からディベートの教育効果を明らかにしたり、ディベートを多くの人に広めるためにはどうしたらよいかを研究しています。「ディベートを研究しています。」と言うと「迂闊なことを言うと論破されてしまいそうですね。」という反応をされることがよくあります。しかし、本来のディベートの目的は論破ではありません。ディベートは指定された論題に対して肯定側と否定側に分かれて、「ジャッジ」と呼ばれる第三者を説得することが本質であり、相手を論破しても全く意味がないのです。
ディベートでは「日本政府は、代理母出産を合法化すべきである。是か非か。」(2023年高校生英語ディベート全国大会論題)のような難しい論題を扱うこともありますが、「遠距離恋愛は利点と欠点のどちらが多いか。」のような身近なテーマを扱うこともあります。
ディベートの教育効果と議論文化
ディベートは様々な教育効果があると言われています。最も代表的なものは批判的思考力(*1)と呼ばれる能力で、大雑把に説明すると「物事を多面的に見る力」と言えます。ディベートでは多くの論題について事例やデータを調べ、アイデアを考え、相手と議論をするので、まさに批判的思考力のトレーニングを行うことができます。昨今はフェイクニュースが拡散することもあり、特に批判的思考力が求められています。
実は、ディベートは鹿児島にもゆかりがあります。薩摩藩には「詮議」と呼ばれる教育システムがあり、色々な議論をして徹底的に論理的思考を鍛えたと言われています。まさに私たちが現代で行っているディベートです。そのせいか、薩摩藩の武士は交渉上手と言われていたそうです。
このような歴史はあるものの、やはり日本ではまだまだ議論に対して抵抗があり、「なるべく波風を立てずに結論を得よう」と思っている人が多いように感じます。私は議論文化があまり根付いていない日本において、ディベートをどのように普及させればいいのかを研究しています。最終的には日本に議論文化が根付いて、人々が日常生活において気軽に色んなトピックについて議論ができるようになればいいな、と思っています。
用語解説
(*1)批判的思考力、と聞くと相手を批判するようなイメージが思い浮かぶかもしれませんが、ここでの「批判」というのは相手を批判するという意味でありません。物事をそのまま受け入れるのではなく、一度疑ってみるという意味で「批判」という言葉が使われています。