ハウスを建築するプランクトン
ワカレオタマボヤ(以下、オタマボヤ)は、海洋に分布する動物プランクトンです。ハウスという、セルロース(*1)を含んだ構造体を体外に作り出し、その中に棲んでいます。ハウスは、海水中のエサを濾し取って食べる働きがあり、フィルターや流路(ダクト)が配置されています。ハウスは使い捨てで、一日に何回も新しいものと交換します。オタマボヤは常に、2-3枚のハウスを「コンパクトに折り畳んだ状態」で体にまとっており、外側の一枚を膨らませると、わずか数分で新しいハウスが出来上がります。言い換えれば、折り畳んだ状態のときに、ハウスの形はすでに完成しているのです。
ハウスは体表から、つまり表皮細胞から分泌されます。このセルロースを含む分泌物が、わずか数分で立体構造をもった「お家」へと変化するのです。現在の工学技術でも不可能な形づくりといえます。また、動物なのにセルロースを合成する(*2)こともユニークです。私たちはハウス形成の研究を進め、内部に色々な繊維構造があることを確認しています。これをもとに「ハウスの形を決めるのは、セルロースの編み方である」という仮説を立てて、その理解を試みています。
セルロース繊維による形づくり
ハウスの作り方は、 1. セルロース繊維の形 (一次元の糸)、2. 編み方(二次元の布)、3. 立体形状の展開 (三次元形状)と、いくつかのスケールに分けられます。生物学的な実験とともに、数学・物理・材料工学など他の専門分野との連携を意識しています。たとえば工業製品の設計を専門とする先生に協力していただいたところ、繊維を一定間隔に並べて網にするしくみが予測できました。検証する実験を行うと、予測どおり網目が壊れ、餌を取り込めないハウスができたのです。現在はさらに、ハウスが三次元形状へと展開するプロセスについて、実験と理論それぞれから調べています。
オタマボヤは一生が5日と短く、10時間で大人と同じ体になるなど、シンプルな体の脊索動物です。ハウス形成の他にも謎めいた発生現象がたくさんあり、「お宝」がたくさん埋まった未開拓の地に見えます。そのお宝、すなわち、裏にあるしくみを調べる実験系を日々工夫して研究を進めています。鹿児島大に着任してからは、錦江湾や奄美群島にほとんど研究されてないオタマボヤの種が多くいることを知り、そのハウスや表皮細胞にも興味が湧いています。鹿児島を取り囲む自然環境と、これまで築いた実験ノウハウを組み合わせることで、ものづくりにも結びつく新しい視界が開けると思っています。
用語解説
(*1)セルロース:植物やバクテリアの細胞壁や繊維の主成分です。グルコースが直鎖状に結合した高分子で、地球上で最も多い炭水化物(多糖類)と言われます。食物繊維の多くもセルロースです。セルロース繊維は、綿や紙などにも使われます。
(*2)動物なのにセルロースを合成する:尾脊動物(ホヤ、オタマボヤ、タリアなどの動物群)は、動物では例外的にセルロースの合成酵素を持っています。バクテリアの持っていた遺伝子を獲得したことに由来する(水平伝播といいます)と考えられています。