中国における皇帝支配体制と官僚制度

中国では、20世紀の初頭、辛亥革命によりラストエンペラー宣統帝が退位するまで、皇帝支配体制が続きました。皇帝を始めて名乗ったのは始皇帝ですが、その後、皇帝支配体制を整備し、2000年も続く政治体制の土台を築いたのは、それに続いた漢王朝(前漢・後漢)でした。この秦・漢両王朝は、あわせて秦漢帝国と呼ばれ、中国における古代帝国として位置づけられてきました。その皇帝支配を支える基盤として重要なのが、官僚制度です。中国では、広大な領域を統治するために、早くから官僚制度が発達し、帝国全土には皇帝の手足となる官僚が配置されていましたが、その高度に発達した官僚制度は、16・17世紀に中国を訪れたヨーロッパの宣教師が感嘆したように、中華王朝の一つの特徴とされています。実際に、近年では、簡牘(文字が書かれた竹片や木片)などが次々と見つかり、それら秦や漢の法律や行政文書の研究を通して、秦漢両王朝でも、実務レヴェルでは、すでに想像以上に、高度かつ合理的な統治が行われていたことが明らかとなってきています。
前漢における統一国家体制の展開における官僚機構の整備

中華世界は、始皇帝によりはじめて統一されました。従来、この統一を必然とし、春秋・戦国時代における争乱を統一に至る前史とみる見方が一般的でしたが、近年では、中華世界の多様性に着目し、始皇帝による統一は、単なる領域の統一に過ぎず、帝国内部には戦国時代以来の地域的枠組みが色濃く残存していたことが注目されるようになってきています。そのような戦国時代の遺風は、少なくとも前1世紀、前漢前半期頃までは見られます。私は、前漢における官僚機構の整備を通して、皇帝支配・統一支配体制の展開を追究しています。特に、帝国全土を直轄統治する体制の整備が急務とされた、前漢武帝(在位:前141- 前87)の治世には、宰相をトップとする官僚機構が強化された上で、皇帝官房も形成されます。皇帝の側近により構成される皇帝官房は、監察・高官の人事等、さまざまな役割を果たしていました。これは、帝国全土から輻輳してくるさまざまな案件を処理し、官僚機構を統御・運営する上で、皇帝一人では限界があり、皇帝を補佐する皇帝官房が必要とされたためです。この皇帝官房と官僚機構を両輪とする体制は、後漢にも受け継がれました。このようにして、秦漢帝国は、前漢一代、200年ほどをかけて、皇帝支配・統一支配体制の内実をそなえていったのです。